『鬼滅の刃』において、誰よりも誇り高く、誰よりも脆かった男がいる。獪岳(かいがく)。彼は、我妻善逸の兄弟子として雷の呼吸を学び、同じ師のもとで剣を振るった。
けれど、彼らの道は決して並ぶことはなかった。むしろその関係は、羨望と軽蔑、誇りと嫉妬が混じり合った、ねじれた対のようなものだった。
「鬼になってでも、生きたかった」──その選択を、誰が責められるだろう。
獪岳はある夜、上弦の壱・黒死牟と遭遇する。圧倒的な力を前に、彼は頭を垂れ、命乞いをし、鬼となる道を選んだ。それは裏切りではなく、恐怖と渇望に満ちた“選択”だった。
この記事では、なぜ獪岳は鬼になったのかを丹念に紐解き、善逸との関係、そして黒死牟との出会いが彼に与えた決定的な影響を見つめ直していきます。
彼の選んだ道に、“正しさ”があったとは言えない。けれどそこには確かに、生きたいと願った人間の弱さが、静かに滲んでいたのです。
善逸と獪岳の因縁──その“始まりと終わり”が描かれる、衝撃の第17巻。
「なぜ鬼になったのか」「なぜ剣を交えたのか」。
このふたりの物語の核心が詰まった巻を、今こそ読み返したい。
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獪岳というキャラクターの背景──「善逸の兄弟子」という立ち位置
人は、ときに“似ている誰か”を見て、自分の弱さに気づいてしまう。
『鬼滅の刃』に登場する獪岳(かいがく)という男は、その典型だったのかもしれない。
我妻善逸の兄弟子。同じ師のもとで「雷の呼吸」を学びながら、いつしか決定的にすれ違っていく存在。
これは、“ふたりでひとつ”にはなれなかった、ふたりの少年の物語でもある。
雷の呼吸を学んだ兄弟弟子として
ふたりは、元・鳴柱である桑島慈悟郎のもとで剣を学んだ。雷の呼吸。速さと鋭さを兼ね備えたこの呼吸法を、師匠は「善逸と獪岳、どちらかではなく“ふたりで継がせる”という選択をした。
でも、運命は意地悪だ。獪岳は「壱ノ型」がどうしても使えなかった。一方、善逸は「壱ノ型しか使えなかった」。
獪岳は、壱ノ型を“下らない型”と吐き捨てながら、その型を極めるしかなかった善逸を心のどこかで意識していた。でも、口にするのはいつも冷たく切り捨てる言葉ばかりだった。
「なぜ自分にはできないのか」「なぜあいつだけが評価されるのか」──そんな小さな疑問が、やがて彼を蝕んでいった。
善逸への軽蔑と、内に秘めた承認欲求
獪岳は、善逸を軽蔑していた。泣き虫で、臆病で、すぐに逃げ出そうとする男。
でも──本当に、軽蔑していただけだったのだろうか?
「なぜあいつは、あんなに弱いのに、諦めないんだ」
努力を笑い、自分を誇ることで、ようやく心のバランスを保てる。そうしなければ、「自分の方が劣っている」という現実に、飲み込まれてしまうから。
そして何より、獪岳は「誰よりも特別に扱われたい」と願っていた。それはきっと、幼いころ、誰にも守られなかった自分を、ずっと赦せなかったから。
善逸が師匠から愛されるたびに、彼はその光の向こうで一人きりになった気がした。「誰かの一番でいたかった」という飢えが、いつまでも満たされなかった。
だからこそ──彼は、鬼に差し出された手にすがってしまったのかもしれない。
獪岳が鬼になった理由──黒死牟との出会いがすべてを変えた
「正義」や「誇り」では、生き残れない夜がある。
鬼殺隊士・獪岳が、黒死牟に出会ったのはそんな夜だった。
それは一瞬で、すべてが終わるような出来事。圧倒的な力の差、絶望を“理解することすら許されない”ほどの威圧。
誰かを守ることも、剣を抜くことすらできず、獪岳はただ──命乞いをした。
命乞いから始まった鬼への道
彼は戦うことをやめ、誇りを投げ捨て、地に這いつくばって「殺さないでください」と乞うた。
「生きてさえいれば、いつか勝てる。死ななければ、それは負けじゃない」
その言葉は、彼の中で何度も繰り返された祈りであり、呪いでもあった。
黒死牟は、その命乞いを拒まなかった。ただし、代償として「鬼になること」を求めた。
そして獪岳は、迷うことなくその血を受け入れた。
彼にとって、「鬼になる恐怖」よりも「死の恐怖」のほうが重かったのだ。
「生き延びたい」という欲望と恐怖の狭間で
獪岳は臆病だった。けれどそれは、“生きたい”と強く願っていた証でもあった。
本当は、強くなりたかった。認められたかった。誰かの一番になりたかった。
でもそれができなかった彼は、「勝つため」ではなく、「生き延びるため」に鬼になった。
その選択のどこかに、ほんの少しでも誇りが残っていたなら──彼は泣いただろう。
でも獪岳は泣かなかった。泣けなかった。強がりしか、残っていなかった。
こうして彼は、人であることを捨てて、“力を得た”つもりでいた。
けれどそれは、“弱さ”を切り捨てたのではなく、抱えたまま闇に逃げたということだった。
「いつか読み返すつもりだった」その気持ち、今こそ現実に。
善逸と獪岳の過去、無惨との激闘、炭治郎の苦しみ──
そのすべてが詰まった『鬼滅の刃』全23巻。
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読んだことがある人も、まだの人も──
“物語の温度”を、もう一度、紙のページで。
なぜ獪岳は黒死牟に選ばれたのか?──上弦の壱の思惑
黒死牟は、ただの“鬼の幹部”ではない。
かつては人間であり、剣士であり、そして最も深い執着を宿した男──その眼差しは、人間の“脆さ”と“傲慢”を見抜くことに長けていた。
獪岳が黒死牟に選ばれた理由。それは、彼が“強いから”ではない。
弱さを、誰よりも隠したがる男だったからだ。
心理操作としての「スカウト」
黒死牟は、戦う意志すら折られた獪岳の姿を見て、すぐに気づいた。
「この男は、生きたいと叫んでいる」
そして彼は、断罪ではなく、選択肢を与えた。「鬼になれば生きられる」と。
その“甘言”は、冷酷でありながら、限界寸前の獪岳にとっては救いだった。
黒死牟にとっては、それこそが狙いだったのだ。「自ら望んで堕ちる者」こそ、最も忠実で、最も壊れやすい。
生死をかけた戦いの中で、人の心を見抜き、崩す──それが彼の「勧誘術」だった。
特別扱いされたい彼の心のスキを突く
獪岳の中には、ずっと疼いていた傷がある。
「自分は誰よりも強く、認められるべき存在である」という信念。
でも、その信念は、誰からも真正面から肯定されることがなかった。
だからこそ、黒死牟の言葉──「お前には資質がある」という一言は、獪岳の心の奥を撃ち抜いた。
善逸にも、師匠にも与えられなかった“無条件の選抜”が、彼を動かした。
それは、承認されたい者にとって最大の誘惑。
鬼になることは、屈辱ではなかった。自分が「選ばれた」と思える唯一の証だったのだ。
善逸との再会──「兄弟子」から「仇」へと変わった関係
それは「因縁」というには、あまりに哀しい再会だった。
獪岳と善逸──かつて同じ師を持ち、剣を交えることもなく過ごしたふたりが、無限城でついに刀を交える。
だがそれは、兄弟子と弟弟子としてではなく、「鬼」と「鬼殺隊士」としての邂逅だった。
善逸が獪岳を許せなかった理由
善逸は、獪岳を憎んでいたわけではない。
むしろかつての彼は、罵倒されながらも、その背中に憧れていた。「自分にはない強さを、兄弟子は持っている」と信じていた。
でも、鬼として現れた獪岳が吐いた言葉──それは、師・桑島慈悟郎を侮辱するものであり、その死を“当然”と切り捨てるものだった。
善逸にとってそれは、刀よりも深く心を切る裏切りだった。
「あんたは俺の兄弟子なんかじゃない」
そう宣告する善逸の声には、怒りよりも哀しみがあった。
尊敬していたからこそ、期待していたからこそ、それを裏切られた痛みは消せなかった。
漆ノ型・火雷神に込めた想い
決戦の最中、善逸は自身が生み出した型──雷の呼吸・漆ノ型「火雷神(ほのいかづちのかみ)」を放つ。
それは、彼がひとりで考え、習得し、そして兄弟子に向けて振るった唯一の剣技。
獪岳が使えなかった「壱ノ型」だけを極めてきた善逸が、初めて自ら創った“型”。
それは、誇りを捨てた兄弟子に対して、誇りを捨てなかった弟子が放つ、一太刀の回答だった。
「俺は、あんたと違う。俺は、人として、剣士として、ここにいる」
その剣には、涙も、怒りも、尊敬も、すべてが込められていた。
そしてそれが、獪岳の終焉となった。
「鬼になってでも、生きたかった」──獪岳の選択が語る人間の弱さ
「なぜ鬼になったのか?」──その問いは、時に冷たく響く。
だが、その裏には必ず、誰にも言えなかった恐怖と、誰にも届かなかった願いがある。
獪岳の選んだ道もまた、決して“悪”だけでは語りきれない、人間としての弱さと必死さの塊だった。
裏切りではなく、恐怖からの逃避だった
獪岳は、確かに裏切った。鬼殺隊を、師を、そして人間であることすら。
けれどその行動の根底には、死の淵に立たされた瞬間に見えた「生きたい」という、純粋で剥き出しの本能があった。
それは、選択でも、策略でもない。ただの、“逃げ”だった。
でも、人は時に、「逃げる」ことを責められる。
弱いと。卑怯だと。
けれどその瞬間、彼の中には確かに“命をつなぎたい”という叫びがあった。
それは、誰にでも潜む感情であり、誰もが見ないふりをしている心の底の声だった。
それでも、誰かに認めてほしかったという叫び
獪岳が欲しかったのは、力ではなかった。
「お前はすごい」「お前は間違ってない」と、ただ誰かに言ってほしかった。
師からの無償の愛、善逸に向けられた眼差し、それらのすべてが、彼の中では「自分には届かないもの」として痛みになっていった。
そしてその痛みが、彼を鬼へと誘った。
自分を守るために。過去を切り捨てるために。
「鬼になってでも、生きたかった」──その言葉の中には、誰にも見せなかった孤独と、崩れそうな自尊心が隠れていた。
たったひとつの承認を得られなかった少年が、選んだ最期の道。
それは、決して特別な話ではなく、私たちの心にも、きっとある。
- 『鬼滅の刃』に登場する獪岳の人物像と背景
- 獪岳が鬼になった理由と黒死牟との遭遇の意味
- 獪岳と善逸のねじれた兄弟弟子の関係性
- 漆ノ型・火雷神が象徴する善逸の成長と決意
- 獪岳が語る“人間の弱さ”と“承認欲求”の本質
「鬼になってでも、生きたかった」──その想いのすべてが、この巻に詰まっている。
獪岳の“涙では語られない選択”、善逸の“決意の一太刀”──
胸に残ったその感情を、もう一度、原作で確かめてみませんか?
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獪岳というキャラクターを「裏切り者」と一言で片づけてしまうのは、簡単です。
でも、物語の奥に潜む彼の“心の穴”を見つめてみると、そこには私たち自身が無意識に抱えている弱さや孤独が滲んでいます。
「強くなりたかった」「特別でいたかった」「認めてほしかった」──そんな当たり前の願いが、ほんの少しの歪みと運命の巡りで、取り返しのつかない選択に変わってしまう。
だからこそ私は、獪岳のようなキャラクターに心を惹かれてしまうのかもしれません。
誰かを裁く物語ではなく、「それでも、彼は生きたかったのだ」と語りかけてくる物語として──私はこのエピソードを、何度でも思い出したいと思うのです。
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