「え、乙骨×真希の孫──?」
その文字を見たとき、胸の奥がひどくざわついた。
名前を聞いただけで、涙腺がゆるむことがある。
それは物語が終わったと思っていた場所に、まだ言葉が残されていたと気づく瞬間だ。
『呪術廻戦≡(モジュロ)』──それは“死滅回游”から68年が経った未来を舞台に、
もう一度、呪いと人との関係を問い直すスピンオフ作品。
西暦2086年。かつての英雄たちは歴史に溶け、呪術師は管理され、
“呪い”さえも体系化された時代に、それでも残ってしまった〈感情〉があった。
主人公は、乙骨憂太と禪院真希の孫。
その血がどんな記憶を継ぎ、どんな願いを忘れていないのか──
そして空から降るのは、呪霊ではなく《シムリア星人》と呼ばれる異星の民。
《モジュロ》という記号に込められた、呪術と文明、感情と合理の交差点。
この記事では、『モジュロ』の世界観と物語構造、
そして“孫”という存在が放つ静かな衝撃について、
感情と記憶を編むように、そっと考察していきます。
『呪術廻戦≡(モジュロ)』とは?スピンオフが描く68年後の呪術界
『呪術廻戦≡』(じゅじゅつかいせんモジュロ)
(原作:芥見下々/作画:岩崎優次)週刊少年ジャンプ41号から連載開始#呪術廻戦 #JujutsuKaisen #呪術モジュロ pic.twitter.com/Xcv5OMBvxm
— 呪術廻戦【公式】 (@jujutsu_PR) September 7, 2025
あの物語に“終わり”を感じたことがあるだろうか。
死滅回游を経て、多くの別れと決断を見届けた私たちは、少しだけ前に進んだ気でいた。
でも、“終わったはずの世界”に、誰かの名がそっと置かれるとき、
心のどこかで忘れたふりをしていた感情が、静かに目を覚ます。
『呪術廻戦≡(モジュロ)』は、本編から68年後の世界を描いたスピンオフ作品。
けれどそれは、続編というより── “残響”に近い。
● タイトル『モジュロ≡』に込められた謎
『モジュロ』という言葉には、意味の定まらなさがある。
≡(三本線)の記号は、恒等式。つまり“変わらないもの”を示す。
でもこの作品は、変わってしまった世界の話だ。
変わってしまったはずの世界に、なぜ“等しさ”の記号を刻むのか──
たぶんそれは、“過去と未来は、同じ痛みを抱えている”ということなのだと思う。
● 舞台は2086年──呪術師は“資源”へ
時は2086年。
呪術師たちは、もはや「英雄」ではない。
国家によって管理され、売買の対象となり、
その力は“呪術”ではなく“技術”として数値化されている。
呪いが祈りから遠ざかり、“効率”として扱われる世界。
それは、皮肉なほどに現実に近い未来だった。
● スピンオフだけど、確かに“続編”
68年という時間が流れた世界。
けれど、読み進めるうちに気づく。
この物語は、確かに“続いている”。
乙骨憂太の残した痕跡。真希の闘いの余韻。
語られない過去たちが、まるで息をするように背景に漂っている。
その“気配”が、ただの未来編ではないことを証明していた。
● 原作&連載情報
『呪術廻戦≡(モジュロ)』は、『週刊少年ジャンプ』2025年41号(9月8日発売)より連載開始。
原作:芥見下々、作画:岩崎優次による短期集中連載で、全3巻(予定)となっている。
出典:https://www.cinematoday.jp/news/N0150732
● “呪い”と“宇宙”が交差するスケール
この物語に登場するのは、かつての呪霊ではない。
空から降り立ったのは、異星の民《シムリア星人》だった。
彼らは地球外の知的生命体であり、呪術師たちを“資源”として評価し、監視する存在。
彼らの論理と人間の情念が交わるとき、“呪術”は未知の姿へと変容していく。
それでもこの物語が語っているのは、
「人はなぜ、呪いを手放せないのか」という問いに他ならない。
出典:https://www.shonenjump.com/j/rensai/jujutsu-modulo.html
乙骨と真希の孫──主人公・乙骨真剣の正体とその“欠落”
“強さ”を継いだのではない。
彼は、欠落を継いだのだ。
『呪術廻戦≡(モジュロ)』の主人公・乙骨真剣(おっこつ まっけん)。
その名に刻まれた“真”と“剣”は、禪院真希と乙骨憂太、二人の記憶が静かに交差する場所。
だが彼は、呪力をほとんど持たない。
祖母がかつて「天与呪縛」を宿していたように、真剣もまた、
“持たないこと”によって、呪術という世界に立ち向かう。
● “呪力がない”という宿命
呪いが見えても、呪力はない。
力の行使ではなく、ただ肉体を削って前へ進む。
その姿は、“呪術”という言葉にすがらない、
“呪術”の只中に立ち続ける覚悟そのものだった。
● “継いでいない”からこそ背負わされるもの
乙骨憂太は、語り継がれる伝説の術師となった。
彼の力、彼の想い、彼の叫びは、あの時代の終わりに確かに存在していた。
だが真剣には、そのすべてが受け継がれていない。
彼は祖父の力ではなく、「名前」だけを引き継いで生まれてきた。
だからこそ、彼の生には“証明”が必要だったのだ。
呪術が使えなくても、僕はここにいる──と。
● 剣とともに生きる少年
彼が選んだのは、「シン・陰流」と呼ばれる剣の技。
それは、乙骨がかつて身につけていた流派の進化系であり、
呪力の代わりに、技と気迫と反復によって戦場に立つ手段だった。
一太刀に込められた感情が、誰かの魂を揺らす。
言葉より先に、斬撃がその存在を証明してしまう。
呪術ではなくても、呪いに触れることはできる。
そんな矛盾を、真剣はその身一つで証明してみせた。
● 祖父母との対話は、“血”の中にある
作中で、真剣が乙骨憂太や禪院真希の名前を口にすることはほとんどない。
けれど、彼の佇まい、動き、選び取る戦い方のひとつひとつに、
あの二人の“記憶”がにじんでいる。
68年の時が流れても、呪いは終わらない。
それは未練ではなく、継承でもない。
ただ、そこに“生きている”というだけの話だ。
出典:https://gamepedia.jp/story/archives/13470
《モジュロ》とは何か?──呪術×宇宙×境界の物語へ
この物語に登場するのは、呪霊ではない。
降り立ったのは、空から来た“目”──
呪いではなく、観察するまなざしだった。
● シムリア星人──呪術界に訪れた“異星の目”
《シムリア星人》──地球から遠く離れた惑星からやってきた、
人類に酷似した外見と、第三の目を額に宿す宇宙難民。
彼らは感情に敏感で、論理に忠実で、
“呪力”をただのエネルギー資源としてしか理解しない。
だからこそ、彼らにとって呪術師は“特殊能力者”ではなく、
「取り扱うべき物質」だった。
その非情な合理性と、呪術に宿る情念が衝突するとき、
物語はただのSFにはならない。
“呪いとは何か”をめぐる、文明と信仰の境界がにじみはじめる。
● モジュロ≡──“変調”を示す記号
≡(モジュロ)という記号は、数学では「同値」や「剰余」を表す。
けれど本作のモジュロは、「変調」を意味しているように感じられる。
68年という時間を経ても、
呪術師はまた“管理”され、“売買”され、“利用”されている。
名前だけが変わっただけで、構造は同じ。
だから≡──変わらないという皮肉を、そのままタイトルに刻んでいる。
それは、乙骨や真希が命を賭して抗った“呪いのシステム”が、
時間とともに形を変え、また人の心を喰らい始めた証なのかもしれない。
● これは“呪術”の話ではない。“文明”の話だ
『モジュロ』で描かれる呪術は、もはや“異能”ではない。
呪力は測定され、分析され、調整され、商品となる。
術式は個性ではなく、スペックに変わる。
だが、その裏にある“呪い”の根本──
つまり「人がなぜ呪いたくなるのか」という問いだけは、
どんな未来でも、解析されてはいなかった。
それがこの作品の核なのだ。
技術でも、宇宙でもなく、“心の未解決”に触れてしまう物語。
出典:https://gamepedia.jp/story/archives/13470
スピンオフで“継承”されるもの──読者が見たかった『その後』
「あのあと、彼らはどうなったのか?」
その問いはいつも、作品の終わりに追いついてくる。
でも、物語が“回収”してしまうと、
私たちはどこかでその続きを夢見ることをやめてしまう。
『モジュロ』が提示した「孫」という存在は、
語られなかった“その後”を、語られないまま置いてくれる。
● “乙骨と真希”の余白が、68年後に繋がる
乙骨と真希の関係性は、本編では明示されなかった。
ただ共に立ち、共に抗った――それだけだった。
けれど、68年後に「孫」が存在するという事実は、
二人の時間にあった何かを、静かに証明してしまう。
言葉にされなかったからこそ残っていた“余白”が、
未来という形で継がれた。その感触が、胸に沁みる。
● キャラクターの“継承”ではなく、“感情”の継承
乙骨真剣は、祖父母の再演ではない。
彼は呪力を持たず、英雄性も継いでいない。
それでも彼は、立ち止まらずに剣を振る。
その姿に、かつての誰かの声が重なる。
血ではなく、力でもなく、
「誰かの痛みを知っている」という感情だけが、
確かにこの作品の中を流れている。
● 『呪術廻戦』という神話の“読み直し”
68年が経ち、虎杖も、五条も、宿儺さえも、
今では“伝説”として語られる存在になった。
けれど読者にとっては、
彼らはまだ昨日のように生きている。
その“温度差”こそが、『モジュロ』の痛みなのだと思う。
『呪術廻戦』という神話が、68年後の世界で“読み直される”。
それは、過去を塗り替えることではない。
今もずっと、心のどこかに残っていたものを、そっと見つけ直すことなのだ。
出典:https://comic11.hatenablog.com/entry/2025/09/08/000208
──また、呪術廻戦が始まってしまった。
未来は、終わりの続きにある。
68年の時が流れ、名前も制度も、
呪術さえも変質したこの世界で──
それでも人は、“呪い”とともに生きていた。
乙骨と真希の孫という存在は、
単なる血の継承ではない。
彼は、語られなかった想いの残響であり、
呪いという概念がまだ終わっていないことの証だ。
『呪術廻戦≡(モジュロ)』は、過去をなぞる物語ではない。
失われたものにすがるのでもない。
それでも残ってしまった感情に、
もう一度だけ言葉を与える作品だった。
だからこそ私は、ページを閉じるその瞬間、
こう思わずにはいられなかった。
──また、呪術廻戦が始まってしまった。
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