『呪術廻戦』アニメ3期の作画は、制作会社の変更ではなく、キャラクターデザインの刷新と第2期から続く演出方針の変化によって、第1期より「絵が変わった」と感じやすくなっています。
一方、ネットで話題になった場面のすべてを「作画崩壊」と見るのは早計です。第3期では、整った一枚絵より動きや画面の勢いを優先した表現、ギャグに合わせた大胆なデフォルメ、引きの構図などが意識的に使われていると考えられる場面もあります。
まず、「3期から何が変わったの?」という人向けに要点を先に整理すると、次の3つです。
- アニメーション制作は第1期から第3期までMAPPAのまま
- 第3期の監督は第2期に続いて御所園翔太さん
- キャラクターデザインは矢島陽介さん・丹羽弘美さんへ変更
この記事では、第1期から見続けてきたアニメオタク・桜木結衣が、『呪術廻戦』アニメ3期「死滅回游 前編」の作画について、「絵柄」「作画」「演出」を分けながら検証します。
第51話「葦を啣む」、東京第1結界編、第10話で話題になった伏黒恵や髙羽史彦の表現まで確認すると、「なんとなく違う」の正体がかなり見えやすくなりますよ。
呪術廻戦アニメ3期の作画は変わった?最大の理由は制作会社ではなく作画方針
『呪術廻戦』アニメ3期は、第1期と比べると画面の印象がかなり変化しています。
ただし、その理由は「MAPPAではなく別会社が作るようになったから」ではありません。第1期・第2期・第3期のアニメーション制作はいずれもMAPPAです。
シリーズごとの主要スタッフと映像の傾向を整理すると、違いが分かりやすくなります。
シリーズ 監督 キャラクターデザイン 筆者が感じる主な画面の傾向
第1期 朴性厚 平松禎史 キャラクターの輪郭や顔を比較的整えて見せる
第2期 御所園翔太 平松禎史・小磯沙矢香 アニメーターごとの線や動きを強く生かす
第3期 御所園翔太 矢島陽介・丹羽弘美 大胆な構図、デフォルメ、画面設計をさらに前面に出す
第1期は2020年10月から2021年3月まで全24話、第2期は2023年7月から12月まで全23話が放送されました。
第3期「死滅回游 前編」は2026年1月8日から3月26日まで放送され、全12話。通算では第48話「執行」から第59話「仙台結界コロニー」までが描かれています。
ここで重要なのは、「スタッフが変わった」という客観的な事実と、「映像がどう見えるか」という評価を分けることです。
第3期ではキャラクターデザイン担当が矢島陽介さん・丹羽弘美さんへ変更されています。
一方、「第1期は整って見える」「第3期は動きを優先している」という部分は、公式がそのような優劣を発表しているわけではありません。全シリーズを見比べたうえでの筆者の観察です。
それでも、輪郭、目元、髪の形、陰影の置き方などが変われば、同じ虎杖悠仁や伏黒恵でも印象は変わります。
しかも長く見続けているキャラクターほど、ほんの少しの変化にも「あれ、顔が違う?」と気付くもの。推しの顔面、オタクは想像以上によく覚えているんですよね……!
「絵柄」「作画」「演出」は別物
3期の議論を整理するうえで、ここはかなり大切です。
絵柄は、キャラクターの輪郭や目、髪など、見た目の基本設計に近いもの。
作画は、そのキャラクターや背景を一枚一枚描き、動かしていくアニメーションそのもの。
そして演出は、どの画角から映すのか、どれだけ間を取るのか、どんな順番でカットをつなぐのかといった「見せ方」です。
たとえば「伏黒の顔がいつもと違う」と感じる場合、キャラクターデザインや作画監督による絵の違いかもしれません。
一方、「なんだかこのシーンが落ち着かない」という違和感なら、原因は絵ではなく、カメラ位置や編集テンポにある可能性もあります。
全部を「作画崩壊」の一言でまとめてしまうと、第3期で本当に何が変化したのかが見えなくなってしまいます。
呪術廻戦3期で「絵が変わった」と感じる3つの理由とは?
第3期の絵が第1期と違って見える理由は、主にキャラクターデザイン、アニメーターの個性、演出・構図の3点に整理できます。
制作会社そのものが変わったわけではないため、「MAPPAが変わった」というより、同じスタジオ内でも作品を形作るスタッフと表現方法が変化した、と見る方が実態に近いでしょう。
キャラクターデザインが矢島陽介・丹羽弘美へ変更
第1期のキャラクターデザインは平松禎史さん。
第2期は平松禎史さんと小磯沙矢香さんが担当しましたが、第3期では矢島陽介さん、丹羽弘美さんへ変更されています。
監督については、第2期から御所園翔太さんが続投しています。
つまり第3期は、御所園監督体制で確立されてきた第2期以降の映像表現を引き継ぎつつ、キャラクターの基本設計には新しいスタッフが入ったシリーズです。
「同じ制作会社だから絵柄もずっと同じ」というわけではありません。
アニメは監督、キャラクターデザイナー、総作画監督、各話の作画監督、演出家、原画スタッフなど、非常に多くの人が関わって作られています。
このスタッフ構成の変化だけでも、第1期と第3期で画面の肌触りが違ってくるのは不思議ではありません。
一枚絵の美しさより「動き」を優先して見える場面がある
第3期を見ていて筆者が強く感じたのは、静止画として端正に見せること以上に、動きの勢いやアニメーションとしての面白さを優先しているように映る場面が多いことです。
ここは「公式が動きを優先すると宣言した」という意味ではなく、実際の映像から受ける印象としての話です。
アニメでは、激しく動くキャラクターをすべての瞬間で設定画通りに描く必要はありません。
高速で腕を振った瞬間に形を伸ばしたり、顔を極端に変形させたりすることで、速度や衝撃を伝える手法があります。
スクリーンショットだけを見ると「顔が崩れている!」と感じても、動画として連続して見れば、その形の変化がスピード感につながっていることもあるんです。
この方向性は第3期で突然始まったわけではありません。
第2期「渋谷事変」でも、影を大きく減らしたカットや、キャラクターの形を大胆に変化させながら動かす場面が多数ありました。
そのため、第3期は「別物になった」というより、第2期で強まったアニメーション志向をさらに押し進めた作品と考えると理解しやすいです。
画角や編集によって「絵が変」に感じる場合も
そして意外と見落とされやすいのが演出です。
同じ顔の作画でも、真正面からアップで見せるのか、人物を小さく置いた引きの画面にするのかで印象はまったく違います。
第3期では、人物の表情を大きく抜くより、空間全体を見せたり、意図的に長めの間を作ったりする場面があります。
筆者には、第1期と比較して「キャラクターを格好よく見せるための画面」だけではなく、「その場にどんな空気が流れているか」を優先するカットが増えたように感じられました。
そのため、視聴者が「顔が違う」と感じていても、実際には顔の作画だけではなく、キャラクターとの距離の取り方そのものが変わったことが違和感につながっているケースもあるでしょう。
第51話「葦を啣む」はなぜ賛否が分かれた?
第3期の作画・演出議論を考えるうえで分かりやすい例が、通算第51話「葦を啣む」です。
この回では禪院真希が禪院家へ戻り、父・禪院扇との戦いを経て重傷を負います。
そして真依との別れを経て、真希は呪力を完全に失う一方、天与呪縛が完成。真依が残した刀を手に、禪院家の術師たちへ立ち向かっていきました。
物語として非常に大きな転換点なんですよね。
真希と真依の姉妹関係に決着がつくだけでなく、真希というキャラクターがそれまでとは別次元の強さへ踏み込む重要回です。
だからこそ、原作ファンが「このコマは絶対にこう見せてほしい」と強いイメージを持ちやすい場面でもあります。
一部の視聴者からは、原作の複数エピソードを1話の中で進めたことによるテンポの速さや、原作とは異なる画面構成について戸惑いの声が見られました。
一方で、真依との別れ、色彩、背景、美術、声優陣の演技、真希が禪院家を相手に戦うアクションを高く評価する反応もありました。
ここで注意したいのは、こうしたネット上の感想はあくまで個々の視聴者による反応であり、作品全体の評価を代表する統計ではないことです。
「第51話は不評だった」と大きく括るより、「演出や構成に賛否が出た」と表現する方が正確でしょう。
筆者自身も、この回について「作画が悪い」とは感じませんでした。
むしろ気になったのは、原作で強く印象に残っていた感情の“間”と、アニメで採用されたテンポ・構図との違いです。
漫画では、ページをめくる前に読者が好きなだけ立ち止まれます。
でもテレビアニメでは、映像側が「何秒見せるか」まで決める。
第51話で意見が割れたのは、この原作読者が記憶している時間感覚と、アニメ側が作った時間感覚のズレも大きかったのではないかと私は考えています。
東京第1結界・仙台結界でも分かる3期の作画傾向
「第51話や第10話だけ特殊だったのでは?」と思う人もいるかもしれません。
そこで第3期全体を見ると、東京第1結界から最終話「仙台結界コロニー」にかけても、3期らしい映像の方向性が確認できます。
第54話「東京第1結界コロニー①」からは、虎杖と伏黒が死滅回游へ本格的に参加。
結界へ入った直後にそれぞれ別地点へ転送され、虎杖は甘井と接触し、伏黒は麗美に誘導されてレジィと対面します。
ここから死滅回游特有の「誰が敵なのか分からない」「ルールを考えながら動く」という緊張感が一気に強まっていきます。
第55話以降では虎杖と日車寛見、伏黒とレジィたちの戦いが並行して進行。
単純な殴り合いだけではなく、領域、術式、得点、総則といった情報を理解しながら見る必要があり、映像側も説明と戦闘を同時進行させなければなりません。
この難しさは、第1期の序盤とはかなり違います。
筆者には、第3期が引きの画面や位置関係を見せる構図を多く使うのも、死滅回游という「空間とルールを理解しながら戦う章」と無関係ではないように見えました。
そして最終第59話「仙台結界コロニー」では、乙骨憂太を中心に映像のテンションが一段上がります。
仙台ではドルゥヴ・ラクダワラ、黒沐死、烏鷺亨子、石流龍が均衡を保っていましたが、乙骨がドルゥヴを倒したことで状況が動き出しました。
黒沐死との戦い、烏鷺の空間を操る術式、石流の高出力砲撃、リカの完全顕現、さらに三者による領域展開まで、短い時間の中で戦闘表現が次々と変わります。
登場人物ごとに術式も戦い方も違うため、「いつも同じ画風・同じカメラ」で処理するより、相手ごとに映像のテンションを変える方が相性のいい章でもあります。
もちろん、だからどんな演出でも正解というわけではありません。
視聴者が「今何が起きているの?」と感じるほど情報が伝わりにくくなれば、映像としては別の課題が生まれます。
ただ、第3期を全体で見ると、特殊な1話だけが突然「違う絵」になったというより、複数の術師とルールが衝突する死滅回游を、回ごとに異なる映像の温度で描こうとしているように筆者には映りました。
第10話の伏黒や髙羽は本当に作画崩壊だった?
第3期の「作画が変」と検索する人の間で、とくに大きな話題になったのが2026年3月12日深夜放送の第10話です。
ORICON NEWSも翌3月13日、同話で見られた伏黒の髪型や髙羽史彦をめぐる視聴者の反応を紹介しました。
この回では、伏黒が麗美に誘導された先で、レジィ・スター、針千鈞、黄櫨折らと対峙。
複数人を相手に追い詰められるなか、コガネから得点譲渡に関する新たな総則が告げられ、伏黒が反撃へ移っていきます。
そして戦場へ突然飛び込んでくるのが髙羽史彦です。
髙羽は周囲が命懸けで戦う死滅回游の中でも、自分の笑いを貫く極端に異質なキャラクター。
登場場面ではシリアスだった画面のテンションそのものが大きく変わり、人物の顔や伏黒の髪型までコミカルに崩れて見えるカットが登場しました。
SNSでは「伏黒の髪の毛どうした」「作画崩壊みたいで笑う」といった趣旨の反応が話題になりました。
ただし、ここを「制作事故だった」と事実として断定する根拠は確認されていません。
前後のギャグ的な流れや、髙羽という人物の性格を考えると、筆者としては意図的なデフォルメとして見るのが自然だと考えています。
この違いはかなり大切です。
意図せずキャラクターの形が維持できなくなったものと、笑いやスピードを生むために意図して形を崩したものは、見た目が似ていても意味がまったく違います。
一枚のスクリーンショットだけを抜き出せば、「伏黒どうした!?」となるのも分かるんですよ。私も初見では二度見しました。
でも前後を含めて動画で見ると、その妙な顔や髪型そのものが髙羽登場後の空気の変化につながっています。
ここは第3期を見るうえで、とても分かりやすい例です。
「崩れて見える絵」と「失敗した作画」はイコールではない。
アニメーションを静止画だけで評価すると、この違いを見落としやすいんですよね。
第2期から作画の方向性はすでに変わっていた?
第3期の絵柄変化を理解するには、第2期からの流れを少しだけ確認しておくと分かりやすくなります。
第1期から第2期へ移った時点で監督は朴性厚さんから御所園翔太さんへ交代し、「第1期と絵の印象が違う」という声は2023年の放送当時からありました。
代表的な例が、第40話「霹靂」です。
同話では伏黒甚爾や漏瑚、両面宿儺らが激しい戦闘を展開し、影や細かな描き込みを抑えてキャラクターを猛烈に動かすカットが注目されました。
絵コンテ・演出を担当した土上いつきさんも放送当時、自身の発信で影を減らしながら原作の持つ印象へ近づけようとした趣旨を説明しています。
ここで重要なのは、「影が少ないから作画が省略された」と単純には言えないことです。
アニメーションでは影や線の情報を減らすことで、原画を動かしやすくしたり、形の変化をより強く見せたりする表現もあります。
第2期ですでに、この「整った静止画だけを最優先しない」という方向はかなり見えていました。
だから第3期を第1期から直接比べると激変したように感じますが、第2期を間に置くと、実は連続した変化でもあるんです。
原作者・芥見下々先生もアニメーションへの関心が深いことで知られています。
『呪術廻戦 公式ファンブック』では、幼少期からアニメーターの存在を意識していたことや、『鉄腕バーディー DECODE』から刺激を受けたことが紹介されています。
ただし、だからといって「第3期のすべての大胆な作画を芥見先生が望んだ」と結論付けることはできません。
ここから言えるのは、少なくとも『呪術廻戦』という作品と、アニメーターの個性を前面に出す映像表現には親和性を見いだせる、というところまででしょう。
呪術廻戦3期の作画はなぜ好みが分かれる?違和感の正体を考察
ここからは筆者の考察です。
第3期への評価が「めちゃくちゃ格好いい!」と「なんだか変……」に分かれる最大の理由は、アニメに求める“正しさ”が視聴者ごとに違うからではないでしょうか。
筆者は、第3期で起きた変化を「作画レベルが下がった」というより、キャラクターを常に整えて見せることの優先順位が相対的に下がったと捉えています。
もちろん、これは公式見解ではありません。
第1期から第3期の映像を継続して見比べたうえでの私見です。
第1期では、筆者にはキャラクターの顔やシルエットが比較的均質に見えました。
一方、第2期・第3期では、戦闘中に形を大胆に変えたり、回によって線の雰囲気が変化したりすることを、より積極的に許容しているように感じます。
これはメリットにもデメリットにもなります。
高速戦闘では、とてつもない勢いや重量感を生みやすい。
その一方で、「虎杖や伏黒をいつもの顔で見たい」という人には、モデルから離れた瞬間が違和感として強く残ります。
だから「第1期が好きな人は3期が苦手」と一括りにはできません。
ただ、キャラクターの見た目の安定を重視する人ほど、第3期の変化を大きく感じる可能性はあるでしょう。
逆に、アニメーターごとの動きや大胆なレイアウトを楽しむ人なら、その違いそのものを魅力と感じることもありそうです。
「動いているか」だけでなく「伝わっているか」が次の課題
筆者が第3期でもっとも興味深いと感じたのは、作画の技術そのものより、演出とのバランスです。
どれだけ猛烈にキャラクターが動いても、誰がどこにいて、何を考え、何が起こったのかが伝わらなければ物語としては置いていかれてしまいます。
死滅回游は特に難しい章です。
総則、得点、結界、術式、複数のプレイヤーの思惑を理解しながら戦闘を見る必要があります。
しかも虎杖と日車のような心理劇もあれば、伏黒とレジィの頭脳戦、乙骨たちの超高速バトルもある。
だからアニメ側には「どこまで映像で暴れるか」と同時に、「どこで観客を立ち止まらせるか」も求められます。
私は第3期を見て、作画が美しいかどうかだけでアニメの完成度は決まらないことを改めて感じました。
「この動き、すごい!」と「この場面、もう少し表情を見たかった」が同じ回の中で両立するんです。
それは矛盾ではありません。
作画は好き、でも演出は好みではない。
原作からの変更は気になる、でもアニメーションとしては面白い。
こうやって要素を分けて見ると、第3期へのモヤモヤがかなり言葉にしやすくなります。
死滅回游の「混沌」と映像の多様さは相性がいい
もう一つ、筆者が第3期ならではだと感じるポイントがあります。
死滅回游は、異なる時代・価値観・術式を持つ人間が同じ結界へ放り込まれる物語です。
虎杖と日車寛見。
伏黒とレジィ。
乙骨と石流龍、烏鷺亨子、黒沐死。
さらに髙羽史彦のように、それまでの戦いの空気を一瞬で壊してしまうキャラクターまで現れます。
そもそも登場人物同士に統一感がない章なんですよね。
だから回や戦闘ごとに映像の温度が変化する第3期の作り方は、死滅回游の混沌と不思議なほど噛み合っているようにも感じます。
ただし、「テーマに合っているから分かりにくくてもいい」という話ではありません。
アニメは最終的には視聴者へ物語を伝えるものなので、演出の大胆さと理解しやすさを両立できるかは今後も重要です。
それでも「統一されていない=失敗」と決めつけず、なぜこの戦いだけ絵のテンションが違うのかと考えてみると、第3期はかなり面白く見直せる作品だと思います。
呪術廻戦4期では作画や絵柄はどうなる?
TVアニメ第4期「死滅回游 後編」は、2026年6月19日にティザーPVが公開され、制作が正式に発表されました。
2026年8月時点では放送開始時期や話数などは発表されていませんが、制作体制には注目すべき変化があります。
第4期では、第3期で副監督を務めた佐藤威さんが監督を担当。
第2期・第3期で監督を務めた御所園翔太さんは総監督となります。
公開されたティザーPVには、秤金次と鹿紫雲一の戦いをはじめ、禪院真希、脹相、九十九由基、虎杖悠仁、伏黒恵らが登場しました。
このスタッフ構成を見る限り、現時点で「第4期から第1期の絵柄へ戻る」と判断できる材料はありません。
むしろ、第2期・第3期で作られてきた映像表現を一定程度引き継ぎながら、佐藤監督がどんなバランスへ整理していくのかが注目点になるでしょう。
死滅回游後編には、動きそのものが見せ場になる戦闘が控えています。
とくに秤と鹿紫雲の対決は、肉弾戦の激しさ、術式やルールの特殊性、目まぐるしく変わる状況をアニメでどう整理するのかが大きなポイントです。
筆者として期待したいのは、第3期の自由で勢いのある作画を残しながら、人物ドラマでは表情や“間”を丁寧に見せること。
『呪術廻戦』は派手な戦闘だけの作品ではありません。
日車の罪悪感、真希と真依の姉妹関係、乙骨の他者への思いなど、人間の感情がバトルそのものと結び付いています。
動かすべきところでは徹底的に動かす。
止まるべきところでは、ほんの数秒でもキャラクターの顔を見せる。
第4期でこのバランスがどう変化するのかは、「作画が変わった」と感じた人ほど注目してみると面白いはずです。
まとめ
『呪術廻戦』アニメ3期の作画が「変わった」と感じる最大の理由は、制作会社の変更ではなく、キャラクターデザインと第2期から続く映像表現の変化です。
第1期から第3期まで制作はMAPPAですが、第3期ではキャラクターデザインが矢島陽介さん・丹羽弘美さんへ変更されています。
さらに御所園翔太監督体制の第2期以降は、筆者には、キャラクターを常に端正に見せることよりも、アニメーターの個性や動き、構図の面白さを積極的に生かしているように映ります。
そのため、一枚だけを切り取れば「崩れている」と感じるカットでも、動画としてはスピードや笑いを成立させている場合があります。
第10話の伏黒や髙羽の場面についても、制作事故だったと断定できる情報はなく、前後の流れからは意図的なギャグ的デフォルメと考えるのが自然でしょう。
一方、第51話「葦を啣む」のように、議論の中心が作画そのものではなく、テンポ、構図、原作との見せ方の違いにある回もあります。
だから第3期を評価するときは、絵柄・作画・演出を分けて見るのがおすすめです。
「作画は好きだけど演出は好みではない」「原作の構図を残してほしかったけど動きはすごい」という感想があっていいんです。
そして第4期「死滅回游 後編」では佐藤威さんが監督、御所園翔太さんが総監督を担当します。
第3期までの大胆なアニメーションをどこまで継承し、物語の分かりやすさや人物の感情とどう両立させるのか。
「顔がいつもと違う」で終わらず、なぜその瞬間だけ形を崩したのか、なぜその距離からキャラクターを映したのかまで見ると、『呪術廻戦』のアニメーションはさらに奥深く楽しめますよ。
よくある質問
呪術廻戦アニメ3期は制作会社が変わった?
変わっていません。
第1期、第2期、第3期ともにアニメーション制作はMAPPAです。
ただし監督体制やキャラクターデザインなど主要スタッフは変化しており、第3期では矢島陽介さん・丹羽弘美さんがキャラクターデザインを担当しています。
呪術廻戦3期は本当に作画崩壊している?
第3期全体を「作画崩壊」と断定するのは適切ではありません。
戦闘中の大胆な変形や、第10話の髙羽登場時のようなコミカルな崩しなど、映像の流れを踏まえると意図的なデフォルメと考えられる場面があります。
一方で、画角、編集、原作からの再構成など演出面については好みが分かれています。
呪術廻戦4期も3期と同じ絵柄になる?
2026年8月時点で、第4期の詳細な作画方針は発表されていません。
第4期「死滅回游 後編」は佐藤威さんが監督、御所園翔太さんが総監督を担当するため、第2期・第3期で作られてきた映像表現を一定程度引き継ぐ可能性は考えられます。
ただし、実際の絵柄や演出がどこまで変化するかは、今後公開される本編映像を確認する必要があります。
桜木結衣(アニメオタク・書店員)



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